2013年10月11日アーカイブ

いつ買うの?そりゃあ、今でしょう!

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落語協会秋の真打昇進披露興行も上野、新宿を終えていよいよ浅草演芸ホールまでやってまいりました。

この芝居はわたくし玉の輔が口上の司会で出演します。

いやなんだよねぇ〜、口上の司会って。はっきり言うと嫌い(笑)。

だってさぁ〜かしこまった台詞を言わなきゃならないし、だいたいキチンとした言葉をしゃべろうとすればするほどかむ(笑)。

まあ、仕方ないからやるけどさ、新真打の皆さん覚悟しときなさいヨ!!


さてさて、手ぬぐいは柳家喬四郎改め喬志郎クン。見た目はナヨナヨしてるけど、実は...まあ、見た目通りかなぁ(笑)。


披露目の準備が忙しくなる五月のこと。池袋演芸場の楽屋で喬志郎クン(この時はまだ喬四郎だけどコレで通します)が兄弟子の左龍さんと話をしている。


喬「兄さん、×月×日って師匠(さん喬師匠)とニューヨークですよねぇ?」

...さん喬師匠はニューヨークで米国人に落語を聞かせています。その公演に左龍さんも出演する。

左「ああそうだけど...」

「ということはその日、絽(ろ)の黒紋付って、使いませんよねぇ?

「...えっ、何それ?」

「いや、あのぉ〜×月×日に挨拶まわりなんですヨ。もし使わないんなら貸してもらいたいなぁ〜なんて思ってるんですけど...」

「...えっ、それどういうこと?持ってないの?」

「ええ、絽の黒紋付ってあんまり使わないじゃあないですか。だから作らなかったんですヨ。で、挨拶まわりのためだけに拵えるのもったいないんで...」

「で、オレのを借りようってぇの?」

「はあ、まあ...」

「いやだよ」

「でもぉ〜......どうしてもダメですかぁ?」

「どうせ使うこともあるから作りなヨ」

「...はあ」


納得いかない様子の喬志郎クン、目の前にいたわたしをじーっと上から下まで見渡して一言

「玉の輔師匠とわたしと体型ちょうど同じくらいですよねぇ?」
オレの借りようとしてる(笑)。
そんな喬志郎クンの手ぬぐいは前々回の龍馬さん同様、二ツ目時代のものをリニューアルしたものです。柄は江戸小紋の『結び文』

kyosiro.jpg

結び文とは、書状を細かくたたみひとつ結びにしたものを結び状といい、それを文様化したもので古くは恋文に使われたというちょっと艶っぽい小紋。オーソドックスで使いやすい柄に『丸に三ツ柏』の紋を入れました。以前の手ぬぐいにはこの紋は入ってませんでしたネ。ここがリニューアル部分です。


kyosiro_tato.jpg

紋が四つなのは喬志郎クンがさん喬師匠の四番目のお弟子さんだから。以前の『喬四郎』の『四』も、それが理由。だけどこの数字は縁起が良くないのでさん喬師匠が変えたんだって。『柳家喬志郎』の文字はさん喬師匠によるもの。達筆ですねぇ〜!畳紙もさん喬師匠です。

で、着物の一件が気になる方もいる...いないかもしれませんが、結局は夏物の黒紋付を誂えました。そりゃあ兄弟子の言う通り、あったほうがいいヨ!!



kyosiro_bisuco.jpg

披露パーティーの引き出物のビスコ。
以前チロルチョコにわたしの写真の入ったモノをいただいたことがあったけど、グリコもこういうサービスしてるんだネ。
ちょっと作りたい(笑)。


【喬志郎出演日】
浅草演芸ホール10月11日・19日
池袋演芸場10月23日・29日
国立演芸場11月5日・7日

※全て昼席




kinjirusi10111.jpg


らしくない手ぬぐい


『芸者ワルツ』の出囃子に乗った、軽く明るい高座。しかも人生は輪をかけて明るく血中イタリア人度の高い?志ん馬師匠。手ぬぐいは墨で描かれた馬。ひじょ〜に渋く仕上がっています。


shinba.jpg

古今亭志ん馬

●ここんていしんば

昭和56年六代目古今亭志ん馬に入門。昭和57年『志ん吉』。昭和61年二ツ目『志ん次』。平成6年古今亭志ん朝門下に。平成9年真打昇進、七代目『古今亭志ん馬』襲名。


(『噺家の手ぬぐい』より)


* * *


わたしが噺家になって一番悲しい訃報です。七代目古今亭志ん馬師匠が10月7日に胃癌で亡くなりました。
志ん馬兄さんは前座時代、一番可愛がってくれた先輩です。
志ん馬兄さんの師匠、先代志ん馬師匠は楽屋でもっとも恐い存在の方で寄席もほぼ休みなく出ていたので、志ん馬兄さんも師匠がいる時はちゃんとしてました。でも、先代が楽屋入りする直前まではサボる(笑)。前座が二人しかいないのに平気でいなくなったりする。


昔の池袋演芸場は地下がポルノ映画館だったので立前座(一番上の前座)の机の引き出しに入っているタダ券を持って「師匠が入るまでに戻るから」とか言って映画鑑賞。ギリギリに帰ってきて、いかにも今まで働いていたかのようにふるまう。

末廣亭でも、後輩二人を残して消えた。師匠の出番直前に汗かきながら帰ってくる。どこで何をしていたのか知らないけど、爽やかな石けんの匂いがした(笑)。

浅草演芸ホールの夜席。わたしが一番下で、志ん馬兄さんが立前座、太鼓番が歌る多姉さん。主任(トリ)の師匠が上がると「あさ市(コレはわたし)、行くか?」と二人でよくやったサッカーゲームの仕草。ゲームセンターに誘ってる。


玉「でも、歌代(歌る多)姉さんひとりになっちゃうし...」

志「大丈夫だよ。...なっ、歌代。ハネる(寄席が終演すること)までには戻るからサ」

玉「...は、は、はい」

志「すいません、お姉さん。すぐ帰ってきますから」

歌「......


歌代姉さんはやさしい(?)。しかし、サッカーゲームに熱中!!もう一番、もう一番、気がつけば寄席のハネる時間は過ぎてる。灯りは真っ暗。さすがの歌代姉さんも怒りました(笑)。


まだまだいろいろあります。女性に関してのお話はココではやめておきましょう。わたしより数倍女好きの兄さんは母性本能をくすぐる天才で、いつもモテモテ。書けないことばかりです(笑)。

8月30日に志ん馬兄さんの日大落研時代の同級生がユニ・チャームにいる関係で高松工場で落語会がありました。メンバーは志ん馬・たい平・ロケット団・木りん、そしてわたし。落語会の前に工場見学をしました。


だけど、ユニ・チャームだからねぇ、ちょっと恥ずかしい(笑)。中に入るとオムツと生理用品を手渡され説明を受けました。ナプキンのシールを剥がしてロケット団の三浦に貼ったりして遊んだのが、つい昨日の事のようです。わたしはその高座で「先ほど工場見学をしました。ユニ・チャームだけに所長(初潮)さんが、いろいろ説明してくれたので、たくさんのコトを吸収できました」。工場では爆笑でしたが、翌日の末廣亭ではドン引きでした(笑)。


* * *


いま、この原稿を書いていたら携帯に着信がありました。

『志ん馬』兄さんから...?


出ると志ん馬兄さんのお姉さん(奥さん)からでした。話を聞くとその高松の仕事から帰って倒れたそうです。

実は志ん馬兄さんが亡くなった10月7日、鈴本演芸場でわたしが演ったネタは『宮戸川』。志ん馬兄さんに教わったネタです。やっぱり、なんかあるネ。

いろいろありがとうございました。合掌。







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五明楼玉の輔,(有)ラスコー
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